|
2007-10-03 Wed 23:50
![]() 写真は、以前の記事 http://atlantida.blog9.fc2.com/blog-entry-255.htmlより ギリシャの数珠、コボロイ(コンボロイ)についてショップへのお問い合わせを多くいただいています。 当初、男の人がカフェにいるときの手持ちぶたさの遊び道具と思っていたのですがお問い合わせと共にもう少し探って見ることにしました。 すると。。。。 コボロイは、英語でWorry Beads と呼ばれています。 つまり気を落ち着かせるための数珠という意味があります。 その意味は、昔にさかのぼります。 数珠というのは、インドで祈りを助けるために発明されたもので 最初は、フルーツの粒に穴をあけ、ひもでつないだものでした。 後、ひもには、フルーツの粒から琥珀、象牙、珊瑚、半貴石に変えられ聖職者がもつものとして房がつけられ司祭、聖職者の首につけられるようになりました。 一方で石は、富、威信、力、文化を表す象徴とされ、君主などが持つことによって権力を象徴するものとなりました。 ギリシャのkomboloiは、インドから伝わったってきたものがトルコ人により紹介され(定かではありません) 富および力を現すものとして高官や主権者などが持つようになったとされています。 それがやがて思索と友、仲間、自らの痛みをなだめる助けがあるものとして一般に受け入れられ知られるようになり普及しました。 第2次世界大戦後は、信心深い人たちの手にもたれるようになりましたが、 ギリシャ観光事業の推進でKomboloiには、ギリシャの伝統と工芸の要素があるとして旅行者用に生産されるようになり 石の手作りだったものがプラスティックと金属の玉から形成され機械によって作られたものが店先(お土産やさん)で売られるようになりました。 ここから一般的に普及がかなり増え、手持ちぶたさの道具となってしまったようです。 しかし最近は、パワーストーンの人気から再び石で作られたコボロイが見直され、自分の好きな石を選びお守りにしたり、誕生石であれば守護石として活用されています。 一般に、ギリシアのコボロイは、ビーズが奇数でヒモに通され遊べるようになっています。 例えば(4×4の)+1で17個、(5×4)+1で21個などで4のa乗法が基本の固定ビーズで「ヘッド」を構成する聖職者、2個の糸を切り離して、ビーズが自由に流れるのを助けるシールドそして飾り房と通常、コンボロイの長さはおよそ2つの掌の幅となっています。 コボロイの遊び方については、ココ↓ http://atlantida.blog9.fc2.com/blog-entry-78.html 私のショップでも販売を来月より開始しますのでどうぞよろしく!! にほんブログ村 ヨーロッパ旅行 1クリックご協力おねがいします ⇒ 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2007-04-16 Mon 20:03
![]() 昔、アテネにたくさん吹きガラスの職人たちがいたそうです。 しかし時代の波に乗り切れず、しだいにアテネから吹きガラスの職人たちが消えていったのだそうです。 吹きガラスは、紀元前1世紀ごろ、古代フェニキア(現レバノンの周辺にあったエジプトの属国)と古代ギリシャで製造されるようになり壺や花瓶のような形のガラスが製作されるようになりました。 ギリシャでは、その後も古代の技術が受け継がれ各地でガラスが作られてきましたが今では、イタリアの吹きガラス等に影を潜めています。 ギリシャの吹きガラスは、イタリアのものに比べとても大胆なものです。 写真のガラス工房は、唯一アテネに残っている吹きガラス職人の作でギリシャの優雅さを感じさせられる作品です。 ギリシャ特有の彫金と合わせたスタンドランプ ![]() 私が一目見てココの工房の作品が気に入ったのが 60,70年代風照明でギリシャにあるカフェ、ホテル、バールに行くとこういうお洒落な照明にうっとりするのですがまさしくそれでした。 ![]() ![]() ココのランプのワットは、日本使用に変更する事ができます。 私のSHOPで今後販売していきますので気に入られた方がいらっしゃいましたらどうぞ楽しみにしていてくださいね。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2007-04-15 Sun 17:56
![]() 赤い粘土で作られた素焼きの物をテラコッタ(ラテン語)と一般に呼ばれるようになり日本でも知られるようになったのは、ここ10年ぐらいのこと。 テラコッタは、8000年以上の歴史ある古い陶器でギリシャでは、多く遺跡跡から出土されています。 ギリシャや地中海沿岸の地域では、日照条件がよかったため、古代では、当初、形を作った後、または、彫刻をした後に天日干しをして使用していました。 その後火おけの灰の中に入れて焼き固めるようになり、後、今日のように釜に入れて焼くようになったとされています。 ギリシャでテラコッタが特に盛んに作られたのは、四世紀末から三世紀にかけてで中でもタナグラ様式と呼ばれる(タグラナ地方で多く出土されたため地名を取って名づけられました) 人物の像がテラコッタで作られていました。 多くは、女性像で衣服は、焼き上げた後に塗られていたので剥げやすかったそうです。 ギリシャ語では、Πήλινο ピリノと呼びこのタグラナ人形の他、神像や生活用品(ワイン、オリーブオイルの壷、オリーブなどを作るときの壷などでも焼き上げられていました。 *タグラナ人形は、アクロポリスにある美術館、カネロプロス美術館などで見ることができます。 サイトでは、ココ↓ http://www.canellopoulosmuseum.gr/eng/p2/index.htm 現在でもハンドメイドテラコッタの技術は、残され壷は、もちろん食器、壁飾り、置物なども作られています。 ![]() 保存食用の壷 ![]() 食器類やランプ(キャンドルライト) さらにギリシャの雰囲気を最もかもし出しテラコッタの色が落ち着きさをもたらせてくれるインテリアに使用するとよい感じになります。 ![]() 素朴ですが足部分にテラコッタの壷を置き上にガラスボードや大理石ボードを乗せただけのデスク。 本棚の付け部分にテラコッタを使ったもの、ランプなど インテリアにすると素朴ですがちょっとアダルトなイメージになりますね。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2007-01-28 Sun 22:40
![]() プラカに今でも機を織って販売しているお店があります。 ![]() 壁掛けにしたり物置にしたりいろいろ利用できます. 図柄のほとんどは、ギリシャの風景(エーゲ海と島々)か古代ギリシャのさまざまなものになっています。 とってもかわいいですよね。 ![]() お店内の写真より織っている段階の織物 ギリシャコットンを使用して昔からの機織の機で作られた織物は、とても味わいがありホンワリとさせられます。 ![]() コットンをよって極太で編まれていきます。 機械ばかりになってきたこのごろですが今でもこうやって機で織ったものを見るとやっぱり手仕事のものは、いいなとつくづく思ってしまいます。 SHOP ロカ 134,Andrianou St. Plaka 機織りとギリシャ神話(2話) -1話- 知恵と戦い、そして芸術の女神アテナは、機織りを司っていました。 また一方、小アジア(現トルコ)のリュディアに住むアラクネは、機織りに関しては、誰にも負けない腕をもつ娘でした。 そして自分の腕に自信があることから ”私の機織は、アテネにも負けはしない”と言っていました。 これを聞いたアテナは、アラクネのことを不愉快に思いある日、老婆になりすましアラクネに近づき ”どんな事があっても女神とだけは、張り合ってはいけません。あなたが言ったことを許してもらうためにすぐにアテネに許しを請いなさい。”といいました。 しかしアラクネは、”わたしは、女神なんて怖くもありません。女神と腕前を争っても私は、勝つ自信があります。”といいました。 そのとたん老婆に扮していたアテネは、正体を現しましたがアラクネは、怖気づかす早々に2人は、織り競い始めました。 アテネは、オリンポスの12神を中央に4隅には、優美・優雅・壮大な生活そして競争しようとする愚かな人間たちが、どんな罰を受けたのかを織りました。 アラクネは、逆にゼウスの浮気シーンやアポロンの刑罰を受けているシーンなど、神々の落度を織り込みました。 アラクネの織物は、完璧でいて神々を風刺した作品にアテナは、とても不愉快に思いその織物を引き裂いてしまいました。 アラクネは、自分のしたことを反省すると共に苦しみ首をつってしまいました。 アテネは、アラクネのことを哀れに感じ ”一生機を織っているがよい”と アラクネをクモに変えてしまいました。 -2話- ギリシャ軍の知将イタケ王オデュッセウスの妻ぺネロペは、夫がトロイア戦争に行き勝利したその後も音沙汰がなかったが 夫が帰ってくることを信じ待っていました。 その間、オデュッセウスの地位を狙うものが多く屋敷に訪れ居座り結婚を迫ってきました。 長い年月が過ぎ、もう待つ理由はないと待ちわびた男たちが早く自分たちの中から誰かひとりを決めろと迫ってきます。 彼らに断るすべがもはやないと思われたとき、ペネロペは、 ”亡くなった義父の棺衣にする布を織り上げるまで求婚に応じない” と告げると、1日中機織りに没頭しました。 そして昼間に織った物は、夜になると織り上げた分だけほどいては4年の月日を過ごしたのです。 やがてその秘密が暴かれると、布は、完成に近付いていきますがちょうどその頃オデュッセウスが帰還することになります。 結局彼女の労が報われたのですが ”ペネロペの織物”という言葉は、 断えずしているがけっして仕上ることのないものを 表すことわざとして、ペネロペは、良妻賢母の代名詞となり、今日でも女性の名前に付けられるようになりました。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2007-01-20 Sat 19:02
ギリシャの家庭へいくと必ずといっていいほどおばあさん、ひいおばあさんが作った
額にはいった刺繍物が飾られていたり (これがどこの家へお邪魔してもとってもかわいい) クッション、ピロケース、ベットカバー、キッチンマット、タペットなどこんなにかわいらしく昔の人は、いったいどうやって図柄を描いて刺繍や織物をしたんだろうって思ってしまうのばかり。 しかし今の人は、残念ながらこのおばあちゃんの手工芸をついで家でチョコチョコハンドメイドをやっている人は、ほとんどいないそうです。 なのにこのハンドメイド物を探しに来る外国人がけっこういて機械に頼らざる得なくなっているのが現状。 (もしくは、遠い島へ手工芸品を探しにいく) しかし機械の場合は、手仕事とは、数段の差 それにおばあちゃんたちの想像手仕事は、機械では、まねできないのです。 先日、中央ギリシャに住まわれているおばあさんから贈り物をいただきました。 それは、彼女が編んだクッションカバー。 田舎でこのようなクッションを義母の家で使っていますけど(義母のお母さん作)新しいのを見るのは、初めて 実にかわいくそしてプロのようでしょ ![]() この中に丸いクッションを入れて使います。 ![]() どうやって編んでいくのかすごく不思議ですがかわいいでしょ。 このクッションも数年後には、編む人もいなくなって探してもないでしょう。 寂しいですね。 ギリシャに来られる方、特に島へ行かれる方、手工芸品は、 とっても貴重なものとなっているので見つけられたらたくさん買っていってください。 それがギリシャから手工芸品がなくならずになる道なんです。 売れなければ残念ながら需要がないと言うことになって廃れて行ってしまいますから。 お願いします *義理母の家の手工芸品は、そのうちに記事にします。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2006-11-19 Sun 16:40
![]() Syntagmaの地下鉄入り口の会場で現在行われているギリシャジュエリー展です。 5000年の歴史をもつギリシャの伝統工芸ジュエリーを一般の方に見ていただこうとハンドメイドの技術を持つデザイナーたちが出展をしています。 ![]() ![]() 展示は、テーマ別に各ブースに分かれています。 シンタグマということもあり外国人の人も多く見に来ていてギリシャの伝統工芸を見てもらうよい機会になっています。 ![]() ライブのバイオリン演奏も聴けてちょっとよいスペース空間。 ただフィルムで製作をしているところを見せているのでそれが生で見れたらもっと一般の人、観光客の人に見てもらうには、よかったのでは?と感じました。 この展示は、明日21日まで シンタグマの地下会場で展示をしています。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2006-09-19 Tue 00:10
![]() Synatagmaの無名戦士の記念碑とその裏にある大統領邸を守っている背が高く(1.87m以上)ギリシャの伝統的な民族衣装Foustanellaフスタネーラを身につけている衛兵Evzonesエヴゾネス(または、Tsoloades ツォロアデス) この歴史的な意味をもつ衣装を身にまとい特別な訓練を受けたEvzones エヴゾネスは、1986年にギリシャ大統領を監視するギリシャ軍の連帯として公式に設立しました。 ![]() Foustanella フスタネーラは、、1821年、ギリシャ革命の戦士が着用していた衣装を再現したものでギリシャの解放後Peloponnesus ペロポネソスの男性の服装もFoustanella フスタネーラのスタイルを用いたそうです。 Evzones エヴゾネスのユニフォームは、そのFoustanella フスタネーラから用い、スカートは、ギリシャがトルコ帝国の占有の400年を記念して400本のプリーツがほどこされています。 赤の帽子に黒い房がついた帽子は、fessi フェッシと呼ばれトルコの帽子からヒントが得られているとされています。 ユニフォームは、すべて大統領監視トレーニング・キャンプのテーラーで10人の職人たちの手によってハンドメイドで作られベストの刺繍には、特に時間を費やし出来上がるまでに約1 か月程かかるそうです。 ![]() 世界的に有名な革に黒いボンボンの付いた靴tsarouhi ツァルヒは、キャンプ地内で靴職人3,4人がかりで作り上げられ皮底には、Evzonesが滑らないように60の鋲が打ち込まれ重さは、3Kgあるそうです。 (一般のtsarouhiには、この鋲は、打たれていません) 夏と冬のユニフォームの違いは、コットンかウールの違いだけで白のタイツをはきウエストは、大き目の皮のサッシュをつけシャツは、袖に特徴があり鳥が飛び立つ羽に真ね大き目の袖になっています。 お土産やさんで売っているtsarouhia ![]() は、キルトに刺繍され室内履きもしくは、ヘアの飾りとして売られています。 *彼らが歩く時に足元から聞こえてくるカチャカチャという音は、靴の裏に付けられている鋲の音。 *護衛する衛兵が1時間身動き一つしないで立ちその後ゆっくりとした動きで動くのは、血の循環を保護するためだそうです。 衛兵になるために厳しい訓練を受けたエリート君たちは、今日も護衛に立ち守っています。 お互いクリック協力しましょう ![]() 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
|
2006-09-15 Fri 23:29
![]() お花のように見せかけたクリスタルガラスブランドESPIELの広告 グラスと言えば日本では、イタリアのベネチアングラスやムラノなどが有名ですがヨーロッパで最初にグラスの製造をしたのは、ギリシャ人です。 ギリシャで作られるのグラス、クリスタルグラス等は、あまり日本には、知られていませんがとてもすばらしいグラスがたくさんあります。 ちょっとだけガラスの歴史に触れてみましょう。。 ![]() ガラスの歴史 紀元前5000年頃のメソポタミアで最初は、陶器などに混合させて、または、関連させていたのではないかと考えられるそうです。 *ローマの博物学者プリウス(西暦23年〜79年)の"博物誌”のなかで紀元前3000年〜2000年古代シリアの海岸で フェニキアの商人が積荷のソーダ塊で焚き火をし料理をしようとしていたところ砂浜の白砂とソーダ塊が熱されてしだいに混ざり合いそれが透明な物質になって流れ出し夜風にさらされ小さなガラスが誕生したと言われています。 その後ガラス自体の製造が行われたのは、紀元前15世紀、古代エジプトからで最初は、粘土で型を作り溶かしたガラスを押し付けて風にさらしていました。 この頃、ガラスを作る人は、あまりいずそれは、とても貴重で高価だったそうで宝石とガラスの交換が行われたそうです。 紀元前1世紀頃、吹きガラスは、古代フェニキア(現レバノンの周辺にあったエジプトの属国)と古代ギリシャで製造されるようになり壺や花瓶のような形のあるガラスが製作されるようになりました。 ![]() Glass perfume bottles in Phoenician style (late 4th BC). Archaeological Museum of Chania Crete この頃フェニキアは、ローマ領であったがために作られたガラスは、ローマングラスと名づけられたそうです。 カットグラスは、その後西暦3世紀から7世紀頃その技法が盛んになったそうです。 *フェニキアの商人は、アフリカへのたび途中にクレタ島に立ち寄っていました。 このときにクレタのギリシャ人にたくさんの植物、食物、酒などの飲み物、ガラス細工などさまざまなものが輸入され伝えられたとされています。 ギリシャのガラス製品は、Notos Galleries Home、Attica、その他のインテリアショップで見れます。 人気blogランキングへ 1クリックご協力おねがいします ⇒ ![]() |
RSSフィード |
|
|
ブログ内検索 |
|
|



























