☆彡すべては、ギリシャ人から始まった。ギリシャから神の贈り物をあなたへ☆彡
古代のハートコインは。。。♡
2007-02-13 Tue 23:30
花のハートモチーフ

バレンタインデーと言えば愛や恋を表現してくれるハートマークが欠かせませんね。
最近、このハートマークのコインバレンタインコインとしてちょっとした話題になっています。

ハートマークは、古代ギリシャシルフィウムという現在存在していない植物(1世紀に絶滅をしてしまった)の果実、もしくは種がモチーフとなった銀貨が起源と言う説があります。

紀元前7世紀ギリシャは、植民地を海外へ広げようとしていました。
中でも北アフリカのリビアにキレネという植民地で自生していたシルフィウムと言う植物は、咳、咽頭炎、熱、消化不良、痛みおよび苦痛などさまざまな病気の治療薬としてよい薬としてとても利用価値があるとされキレネの経済を発展させるもっとも良いものとされていました。
この高価な植物は、太陽神アポロンへも捧げられていたそうです。

経済発展への理由は、コインでした。
ハートのコイン
1889 edition of _Principal Coins of the Ancients_, plate 35より
上記写真は、シルフィウムの茎をかたどったコイン
ハートのコイン
A silver Attic drachm 510-470 BC
"The Silphium Connection" by Favorito EN,より
、もしくは、果実をかたどった上記のコインが製造されとくにこれらのコインは、ハートの形をしていることからシルフィウムがハートの起源ではないかと言われ最近このコインは、バレンタインコインとも呼ばれだしています。

ハートコインだ何て何かロマンティックですよね。


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バレンタインデーの花は。。。
2007-02-12 Mon 23:15
花束
花言葉は、民族、宗教によってとらえ方が異なり、国、地域によって花言葉が違うそうです。

花言葉、誕生花の起源は、トルコのharems ハレムスには、好きな人に思いを伝えるために花を使ったそうです。
それは、自分の思いを相手に伝えるためにいくつかの花の意味を調べ、自分の思いを伝えたい花たちを花束にして好きな相手に贈りました。
贈られた人もお返しの言葉の代わりにその言葉の意味を持った花で贈り返しました。
この風習に使われた花が主にチューリップの花だったといわれ好きな相手に言葉で言えないことを花が代弁してくれた恋の行方を占う花でもあったわけです。
それゆえ花には、恋にまつわる花言葉が多いといえます。

この風習をselam セラムと言い、後スウェーデン王がオスマン宮廷に亡命したことなどからヨーロッパ各国に伝わりだしました。
フランスでは、貴婦人方のお茶会での流行としてもてはやされ、イギリスでも貴族の間でnosegay ノーズガイ (noseは、鼻、gayは、喜びに満ち あふれた楽しげな様子)として取り入れられたそうです。
エリザベス朝からヴィクトリア朝時代にかけてイギリスは、黄金時代を迎えて世界最大の植民地帝国となっていました。
そして世界各地の植民地からさまざまな珍しい花が調達されていたそうです。
それをイギリスの貴族、紳士は、高価な芳香と花言葉で貴婦人たちのハートを射止めようと花言葉を覚えたのだそうです。
そして365日一年全ての日にちに花が割り振られ誕生石と同じように誕生花として誕生日で決まっていきました。

2月14日バレンタインデーの日の誕生日花

アカシア(黄)「秘密の恋」「真実の愛」「秘愛」「優雅」「友情」
カミツレ(カモミール「逆境に耐える」「逆境に負けぬ強さ」「親交」「仲直り」
フリージア(黄) 「無邪気」


バレンタインデーセラムの風習のように花言葉を調べてお花を好きな相手に贈るのも良いのではないでしょうか?
そしてホワイトデーにお返しをもらったらですね。



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聖バレンタインと女神ヘラ♡
2007-02-10 Sat 22:04
バレンタインの話は、さまざまに言われていますが私は、その中の主に伝えられている話を書いています。

.....昨日の続き......

ルペルカリア祭でローマ兵士と結ばれたカップルは、お祭りのおかげで愛し合えたにもかかわらずローマ教皇のゲラシウスによって”ローマの兵士が戦場へ行きたがらなくなる、ローマの兵士の士気が弱まる”などの理由により結婚が出来なくなってしまった(ローマ教以外の他宗教の祭事を好まなかった理由でこの祭りを廃止しようとしていた)わけですがキリスト教司祭バレンタインが彼らのために結婚をさせていました。

バラ

エピソード1 バレンタインデー薔薇の花
この間バレンタイン司教のおかげで幸せなカップルがたくさん誕生しました。
ある日、バレンタインは、薔薇 の世話をしている時にどこからか喧嘩を繰り返している若いカップルがいました。
バレンタインは、彼らを仲直りさせたく愛情で満ち溢れた表情で、彼らに、その一輪の薔薇の花を渡し仲直りするようにささやきました。
彼らは、バレンタインの微笑んだ顔と薔薇の花の香りに心和ませ、仲直りをしました。


後、バレンタインがひそかにローマ兵を結婚させていたことがローマ教皇ゲラシウスの知ることとなります。
この当時のローマは、キリスト教の迫害もありキリスト教のもとで結婚式がひそかに行われていたことを罪としこの罪をバレンタインに認めさせローマ宗教に改修をさせようとしました。
しかしバレンタインは、これを拒否し投獄させられてしまいます。

エピソード2 バレンタインデー手紙
バレンタインが投獄されている間に取調べを担当したアステリオ判事には、目の見えない娘がいました。
アステリオ判事は、娘の目が見えるようになることを祈り獄中のバレンタインのもとへ娘をあわせます。
バレンタインは、いつしか娘と心を通じ合うようになり彼の祈りによって奇跡的に目がみえるようになりました
アステリオ判事は、バレンタインに感謝をし、家族でキリスト教に改宗しました。


このような一件からバレンタインは、処刑させられてしまいますが処刑される前に娘へ「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残しバレンタインは、西暦269年2月14日に処刑されました。

バレンタイン ステンドグラス

バレンタインが亡くなってからキリスト教の勢力が増し教会は、キリスト教以前からあった祭事から異教の要素を排除しようとし2月15日のルペルカーリア祭も排除しようとしました。
しかし単に禁止をする事ができずローマ兵をキリスト教の下、結婚させた罪で処刑させられたバレンタイン司教の名を借りバレンタイン由来の祭りとしてこの祭りを残そうと考え付きました。
キリスト教以前からの14日の結婚と家庭の女神ヘラの祭り15日のルペルカリアの豊穣と子宝の祭りバレンタイン司教のキリスト教においての功績を徐々に置き換えていきました。

ゆえに彼に起きたエピソード1と2は、事実かどうかは、私には、わかりません。
処刑された年も人によって異なります。
がこの14日、15日は、人々にとって愛の日だったことだけは、間違いないようです。

バレンタインについて詳しいことは、日刊ギリシャレモンの森lemonodasoさんが調べられています。
http://lemonodaso.exblog.jp/


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愛を深める2つの祭りと祝い。。。
2007-02-09 Fri 23:55
古代のアテネカレンダーで1月の中旬から2月の中旬までは、大主神ゼウスと結婚家庭と結婚の女神ヘラ(ローマ神話では、ユノ)の神聖な結婚に捧げられたGamelionガメリオンと呼ばれる結婚の月で人々に祝われていました。
ゼウスとヘラの結婚式
Louvre Museum

ローマ帝国の時代、ローマでは、現在バレンタインデーとされる2月14日を女神ユノギリシャ神話では、ヘラ)の祝日としていました。
この頃のローマ帝国は、すでにキリスト教を国教しようとローマ教会が躍起になっていましたが多神教の国であったローマ帝国の人々がすぐに受けいるわけでもなく以前からの12神を信仰する風習が続いていました。
この日、未婚の女性たちは、自分の名前を書いた札を明日の祭りのために桶の中に入れておきます。
14日の翌日15日は、体半分がヤギの神(ギリシャ神話のヤギの神パンに同一視されることもありますが一応別の神だそうです)Lupercus ルペルクスを祭る豊穣を祈願する清めの祭りルペルカリア祭の始まる日でした。

ルペルカリア祭とは、オオカミの群れが、羊飼いが引き連れて世話をする羊の群れを狙ってローマの市外を歩き回っていたのを神ルペルクスが羊飼いと羊たちを守って、オオカミから羊他たちを遠ざけました。
そこで、2月に、羊飼いと羊たちに危害がないように、ローマ人は神ルペルクスを拝するルペルカリア祭を祝うようになりました。


ルペルカリア祭は、ローマ近くの洞窟で聖職者が山羊と犬を生贄にした儀式の後、山羊の皮を剥いで山羊の血を塗りたくり皮は、細長く切り生贄の血に浸しその皮で若い男が女性や農地を叩くというものでこうすることで豊穣と子宝に恵まれるとされていました。
この祭りの期間、前日14日に桶の中に入れておいた名前の札を男たちが引き、引き当てた名前の女性と祭りの間カップルとなりいっしょにいる事が許されました。
(この頃のローマは、男女が共に生活をすることを許さなかった時代でこのような祭りのおかげで男女が共に出来、子宝にも恵まれたといわれています。)
この風習は、約800年間続けられてきましたが、ローマ教皇のゲラシウスは、
「この祭りによって愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がる」というむりやりな理由をつけこの祭りを禁止してしまいました。

続きは、明日。。。

女神ヘラは、結婚、家庭の神そして次の日は、豊穣を奉る祝いと人々が愛を深める期間だったんですね。


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